前に何々の時はこう言っていたのに本当に矛盾しているよなあと、ネット上でゲームに関する情報を集めているときなどに思ったことはありませんか。
ゲームに限らず、ネット上には「前と言っていることが違う」という矛盾意見が大量に存在しています。
その理由は何故か。
簡単な話で、そもそも矛盾ではないからです。
Aと言っている人とBと言っている人は、単純に別人。
「別人である確率の方が圧倒的に高い」と言う方が正確ですね。
同じ人が言っているのであれば(経験や思考を経て意見が変わったわけではない限り)矛盾かもしれませんが、それぞれ別の人間が別の意見を出しているだけなのに矛盾もくそもありません。
考えてもみれば、ネット上だとむしろ相当な条件が揃わない限り同一人物だと特定できないということはすぐにわかります。
同じサイトのコメント欄で同じ投稿IDなどを使用していて同じような口調で…と、最少でもこれくらいは条件が揃っていないと。
(ちなみに、意識してなりすましをする人物もいるでしょうから、上記だけでは不十分な状況もあり得る。)
つまり、意見を発する側の問題ではなく、受け取り手の勘違いの場合がほとんどであるということになります。
受け取り手側にこういった認知ミスが発生する理由。
これは、脳が「サボリ魔」だからです。
脳のサボリ機能に関してはこれまで何度か話してきましたが、こんなところでも邪魔してくるんですね;;
自分とおよそ密接に関わりのない相手に関しては、「その他大勢」という括りに分類されている。
「世間」「あいつら」「お前ら」「アンチ」「信者」などなど、一括りにできるものはすべて、脳の中ではその他大勢です。
本当は一人一人違う人物なのに、全員まとめてモブキャラ扱い。
うどん派の個人の意見はうどん派全員の意見と見る。
Aという理由でうどんが好きな人、BやCという理由でうどんが好きな人、一人一人別の理由を持っているはずなのに、うどん派全員がA~Cのすべての理由でうどんが好きと感じる。
同じうどん派でもXに対して賛成派と反対派がいて、うどん派の中で二分割されているのに、「うどん派はXに対して賛成したり反対したりどっちだよ」とまとめて考えてしまう。
脳は、情報の重要度に応じてその処理の精密度を変化させます。
今回の事例では、発信された内容自体が最も重要であり、その発信者に関してはあやふやなままに処理される。
だから、あたかも同じ人物が別々・真逆の意見を出して矛盾した状態が生まれているという錯覚が発生してしまいます。
こう考えてみると、最も疑うべきは他者の出した情報の内容や発信者云々よりもまず、自身の脳なのかもしれません。
これは個人の考えですが、自身または他者が認める「頭の悪い」人物というものは、そのほとんどが「考えることができない」わけではなく、「考えようともしない」のではないかと思っています。
「やればできる子なんです」に対して「じゃあやれよ」と似たようなことですね。
能力があるのに、使っていないどころか使おうともしていない。
意識して使わないと、脳のサボリ機能はサボリ癖となり、エスカレートするばかりです。
今回のように誰が言っているかはさほど重要ではない事柄ならまだ問題はないかもしれない。
でも、脳のサボリ機能は本当にあらゆる場面で発生しています。
「あれ、おかしいな」と感じたときくらいはせめて、少しだけ考えてみる習慣をつけてみた方が良さそうです。
松山勝弘(まつやままさひろ)
ゲームに限らず、ネット上には「前と言っていることが違う」という矛盾意見が大量に存在しています。
その理由は何故か。
簡単な話で、そもそも矛盾ではないからです。
Aと言っている人とBと言っている人は、単純に別人。
「別人である確率の方が圧倒的に高い」と言う方が正確ですね。
同じ人が言っているのであれば(経験や思考を経て意見が変わったわけではない限り)矛盾かもしれませんが、それぞれ別の人間が別の意見を出しているだけなのに矛盾もくそもありません。
考えてもみれば、ネット上だとむしろ相当な条件が揃わない限り同一人物だと特定できないということはすぐにわかります。
同じサイトのコメント欄で同じ投稿IDなどを使用していて同じような口調で…と、最少でもこれくらいは条件が揃っていないと。
(ちなみに、意識してなりすましをする人物もいるでしょうから、上記だけでは不十分な状況もあり得る。)
つまり、意見を発する側の問題ではなく、受け取り手の勘違いの場合がほとんどであるということになります。
受け取り手側にこういった認知ミスが発生する理由。
これは、脳が「サボリ魔」だからです。
脳のサボリ機能に関してはこれまで何度か話してきましたが、こんなところでも邪魔してくるんですね;;
自分とおよそ密接に関わりのない相手に関しては、「その他大勢」という括りに分類されている。
「世間」「あいつら」「お前ら」「アンチ」「信者」などなど、一括りにできるものはすべて、脳の中ではその他大勢です。
本当は一人一人違う人物なのに、全員まとめてモブキャラ扱い。
うどん派の個人の意見はうどん派全員の意見と見る。
Aという理由でうどんが好きな人、BやCという理由でうどんが好きな人、一人一人別の理由を持っているはずなのに、うどん派全員がA~Cのすべての理由でうどんが好きと感じる。
同じうどん派でもXに対して賛成派と反対派がいて、うどん派の中で二分割されているのに、「うどん派はXに対して賛成したり反対したりどっちだよ」とまとめて考えてしまう。
脳は、情報の重要度に応じてその処理の精密度を変化させます。
今回の事例では、発信された内容自体が最も重要であり、その発信者に関してはあやふやなままに処理される。
だから、あたかも同じ人物が別々・真逆の意見を出して矛盾した状態が生まれているという錯覚が発生してしまいます。
こう考えてみると、最も疑うべきは他者の出した情報の内容や発信者云々よりもまず、自身の脳なのかもしれません。
これは個人の考えですが、自身または他者が認める「頭の悪い」人物というものは、そのほとんどが「考えることができない」わけではなく、「考えようともしない」のではないかと思っています。
「やればできる子なんです」に対して「じゃあやれよ」と似たようなことですね。
能力があるのに、使っていないどころか使おうともしていない。
意識して使わないと、脳のサボリ機能はサボリ癖となり、エスカレートするばかりです。
今回のように誰が言っているかはさほど重要ではない事柄ならまだ問題はないかもしれない。
でも、脳のサボリ機能は本当にあらゆる場面で発生しています。
「あれ、おかしいな」と感じたときくらいはせめて、少しだけ考えてみる習慣をつけてみた方が良さそうです。
松山勝弘(まつやままさひろ)