ゲームは脳力・能力をアップさせる至高のエンターテインメント ――― ゲームをすると馬鹿になるなんて言わせない

ゲームには世間が思いもよらない様々なメリットがあります。 おもしろい・たのしい、それだけじゃない。 ゲームが学びや脳力・能力アップの「ためになる」ことを知ってほしい。 さあ、ここからは「ゲームの時間」です。

カテゴリ:ゲームで理解する○○ > ゲームで理解する学習効果アップのあれこれ

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前に何々の時はこう言っていたのに本当に矛盾しているよなあと、ネット上でゲームに関する情報を集めているときなどに思ったことはありませんか。
ゲームに限らず、ネット上には「前と言っていることが違う」という矛盾意見が大量に存在しています。

その理由は何故か。
簡単な話で、そもそも矛盾ではないからです。


Aと言っている人とBと言っている人は、単純に別人。
「別人である確率の方が圧倒的に高い」と言う方が正確ですね。
同じ人が言っているのであれば(経験や思考を経て意見が変わったわけではない限り)矛盾かもしれませんが、それぞれ別の人間が別の意見を出しているだけなのに矛盾もくそもありません。

考えてもみれば、ネット上だとむしろ相当な条件が揃わない限り同一人物だと特定できないということはすぐにわかります。
同じサイトのコメント欄で同じ投稿IDなどを使用していて同じような口調で…と、最少でもこれくらいは条件が揃っていないと。
(ちなみに、意識してなりすましをする人物もいるでしょうから、上記だけでは不十分な状況もあり得る。)

つまり、意見を発する側の問題ではなく、受け取り手の勘違いの場合がほとんどであるということになります。


受け取り手側にこういった認知ミスが発生する理由。
これは、脳が「サボリ魔」だからです。

脳のサボリ機能に関してはこれまで何度か話してきましたが、こんなところでも邪魔してくるんですね;;


自分とおよそ密接に関わりのない相手に関しては、「その他大勢」という括りに分類されている。
「世間」「あいつら」「お前ら」「アンチ」「信者」などなど、一括りにできるものはすべて、脳の中ではその他大勢です。
本当は一人一人違う人物なのに、全員まとめてモブキャラ扱い。

うどん派の個人の意見はうどん派全員の意見と見る。
Aという理由でうどんが好きな人、BやCという理由でうどんが好きな人、一人一人別の理由を持っているはずなのに、うどん派全員がA~Cのすべての理由でうどんが好きと感じる。
同じうどん派でもXに対して賛成派と反対派がいて、うどん派の中で二分割されているのに、「うどん派はXに対して賛成したり反対したりどっちだよ」とまとめて考えてしまう。


脳は、情報の重要度に応じてその処理の精密度を変化させます。
今回の事例では、発信された内容自体が最も重要であり、その発信者に関してはあやふやなままに処理される。
だから、あたかも同じ人物が別々・真逆の意見を出して矛盾した状態が生まれているという錯覚が発生してしまいます。

こう考えてみると、最も疑うべきは他者の出した情報の内容や発信者云々よりもまず、自身の脳なのかもしれません。
これは個人の考えですが、自身または他者が認める「頭の悪い」人物というものは、そのほとんどが「考えることができない」わけではなく、「考えようともしない」のではないかと思っています。
「やればできる子なんです」に対して「じゃあやれよ」と似たようなことですね。

能力があるのに、使っていないどころか使おうともしていない。
意識して使わないと、脳のサボリ機能はサボリ癖となり、エスカレートするばかりです。


今回のように誰が言っているかはさほど重要ではない事柄ならまだ問題はないかもしれない。
でも、脳のサボリ機能は本当にあらゆる場面で発生しています。
「あれ、おかしいな」と感じたときくらいはせめて、少しだけ考えてみる習慣をつけてみた方が良さそうです。





松山勝弘(まつやままさひろ)
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今までの人生で、後悔したことはありますか?
さすがに後悔したことがない人はまずいませんよね。

では、最近、後悔しましたか?
この質問の答えがNOだった人は、いつからか成長が著しく停滞しているかもしれません。


「後悔していない」が口癖のようになっている人は要注意。
みなさんの周囲にはいませんか。
ぼくは、特に大学生の頃にこの言葉をよく聞きました。
「○○だった残念…。でもこの選択に後悔はしていない!」といった具合です。


そもそも後悔とは何なのか。
自身が行った言動に関して、後になってから悔いること、ですよね。
後になってから悔いるということは、その言動が「失敗だった」と自覚するということ。

そう、「後悔する」ということはすなわち、「失敗した」という事実が存在するわけです。
だから勧んで後悔したい人などいない。
できることなら失敗しないに越したことはないですから。
でも、失敗しない人間もいないので、成功しかしていないために後悔することがないという人はいません。
つまり、後悔をまったくしていない人は、「失敗しても省みない人」ということになります。


何故後悔しない人が現れるのか。
それは、失敗したことが恥ずかしいからか、失敗しても省みずに前だけを向いて歩く俺カッコエーとか思っているからでしょう。
確かに、ずっと後悔し続けて他の何も手に付かずに停滞し続けるのは、その先に何も生みません。
まだ動いている分、後悔していない人の方がマシに思えます。
が、どちらも成長していないという点では同じなんです。

RPGゲームで、入手したアイテムはすべて売却する癖のある人がいたとします。
ボス戦ではMPが切れて回復の術がなくなったために全滅してゲームオーバーになる。
再戦の前に消費アイテムを買いに町に戻らないといけない。
ここで後悔をしなければ、ボス戦のたびに二度手間三度手間が出てきますよね。

落とし穴があって大ダメージを負ったのに、同じ道を通りますか。ジャンプせずに通りますか。
ボスには無効の即死魔法を連発するキャラを放っておきますか。直接命令を出したりパーティーから外しませんか。
唐突なゲームオーバーを経験して最後のセーブポイントが3時間前の地点なのに、また間にセーブを挟まずに同じようなプレイを3時間続けますか。

後悔するからこそ、同じ場所に留まり続けることなく先へ進めます。
この先で似たようなことが起きても同じ轍を踏まずに済むんです。


「なるほど、あのタイミングでジャンプしたから被弾を避けられなかったのか。でも今回の失敗で飛ぶタイミングに関しての学びが得られた。だから後悔はしていない。」という「後悔はしていない」の使い方をする人がいる。
でもこれ、「後悔はしていない」のセリフの前に、既に後悔しています。それを次に繋げられています。

なので、こういう「後悔はしていない」の使い方の人は、成長も続いているためそれほど問題もありません。
もし「後悔はしていない」が口癖の人でも、無意識下では後悔しており、その反省を次に生かしているならば大丈夫です。


それでもこの口癖は早めになおした方が良い。
あまり使い過ぎるとそれが自己暗示になり、無意識においても本当に後悔しなくなってしまいますから。

最も危惧されるべきはこの部分です。
本来は後悔する言動を行ってしまったにも関わらず、その後悔を押さえつけることにより言動を省みることがなくなる。
つまり、この場から動けずにいる姿、成長が止まった状態に陥ってしまいます。


この先、失敗しないに越したことはありません。
でも失敗を避けるためには、過去の失敗体験が必要不可欠です。
人は実際に体験したことでしか真実を理解することができませんから。
(成功だと思っていた姿を実現してみれば失敗だった、という体験は一度や二度ありますよね。)

今現在、失敗を避けられるのは過去に経験した失敗があるからです。
過去に経験した失敗しか避けられませんが、同じ失敗はしないように意識して避けることができます。
そして、未来における過去とは、今現在における過去だけじゃなく今現在自体も含まれているんです。


後悔するようなことをしてしまったなら後悔すれば良い、いや、後悔しなくてはならない。
後悔して、失敗を自覚しないと。

「後悔しない」という選択肢には、あなたの人生がこの場でゲームオーバーになる危険性が含まれているのですから。





松山勝弘(まつやままさひろ)
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