ゲームは脳力・能力をアップさせる至高のエンターテインメント ――― ゲームをすると馬鹿になるなんて言わせない

ゲームには世間が思いもよらない様々なメリットがあります。 おもしろい・たのしい、それだけじゃない。 ゲームが学びや脳力・能力アップの「ためになる」ことを知ってほしい。 さあ、ここからは「ゲームの時間」です。

カテゴリ: その他 ゲームと脳の話

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ネタバレを嫌う人ほど、ネタバレを踏んでしまう可能性が高いです。

理由は大きく2つですが、1つ目は大したものではありません。
同じ内容を見聞きして、ネタバレと感じるかどうかの差の話。
なので得られた情報量が同じならネタバレを嫌う人の方がネタバレを踏んでしまうということになります。


重要なのは2つ目の理由。
人の脳は、好きか嫌いかに関わらず、より強く意識している情報を優先的に拾うようにできていることです。
他の記事でも何度か取り上げていますが、「カラーバス効果」(詳細はこちら)ですね。

他の人なら気付かずに見逃す・聞き逃すような情報すらも仕入れてしまうため、ネタバレは嫌だ嫌だと強く思うほどにネタバレを踏みやすくなってしまいます。

情報発信側の発信場所が悪い場合ならまだしも、そこに禁止されていることほどやりたくなる心理「カリギュラ効果」まで加わると、自らネタバレを踏みに行くなんて事態まで起こり得ます。


さらに厄介なことに、強く意識していることほど記憶に残りやすい点です。
ネタバレを嫌う人は当然、ネタバレを踏むと自然とそれに強く反応します。
ここに負の感情が生まれるほど印象が強くなり、記憶に長く残ってしまう。

ネタバレをそこまで気にしない人なら、ネタバレを踏んでも半年もすれば忘れていることが多いため、ネタバレを踏んだゲームでも新鮮にプレイできる。
ネタバレを嫌う人なら2年や3年経っても覚えていることもあるので、時間を置けば新鮮にプレイできるという望みも薄くなります。
シリーズものとかなら次の新作が出てしまうなんてこともありますし。


ネタバレされたくないのにされやすくなるわ、一度されたら忘れられないわで踏んだり蹴ったりですね;;
気を付けようとする考えが逆にネタバレを踏むことを誘発してしまう。
ということで、ネタバレを嫌う人は実益として、SNSなんかは「気を付けながら見よう」ではなく「このゲームをクリアするまで一切見ない!」のスタンスが一番良いという結論になります。
もちろん、ブロックやミュート、コミュニティといったそのSNS特有の機能をうまく使えば問題なく使用できることもありますが。





松山勝弘(まつやままさひろ)
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このブログのタイトルや取り上げているテーマの関係で、時々「ゲーム脳」という単語で検索されることがままあります。
ゲーム脳になると何か悪影響があるのか、といったことを心配されておられるようです。

断言します。
ゲーム脳に良いも悪いもありません。

そもそも「ゲーム脳」とは何なのか。
実は、今広く普及している意味と本来の意味とで大きく違います。



ゲーム脳は本来、森昭雄という方が書いた本「ゲーム脳の恐怖(2002年)」で初めて定義された造語です。
テレビゲームや、携帯電話のメール、パソコンなどの電子機器を使うことで脳に与える悪影響のことを総じて「ゲーム脳」と表現されています。
携帯やパソコンの使用も含まれているのに「ゲーム脳」って…笑

ゲーム脳になると悪影響が…ではなく、悪影響が及ぼされた状態がゲーム脳。
なので、ゲーム脳になった時点で既に悪影響が発生している状態だということになりますね。

が、ご安心ください。
特に詳しくは書きませんが、この本の説は様々な方面から完全論破されています。
(詳細がどうしても気になる方はネット検索してみてください。)

と、本来の意味では「ゲーム脳」という悪影響は存在しません。



続いて、今広く普及されている意味に関して。
現在は、日常の様々なものがゲームの何かに見えてしまうことを総じてゲーム脳と呼ばれていることが多いですね。
「あの扉の見た目からして向こう側に隠しダンジョンがあるように見える」「壁の模様でパズルゲームが想起される」といった内容。

これ、脳機能的にはすごく正常です。

野球をしている人が「その考え方、野球にも通ずるところがあるな」と思ったり、
飲食店のホールで働いている人が、自身が客のときに皿をまとめるという行動を取ったり、
これと全く同じことですよね。

よく関わっているものや立場の視点で見えてしまうというのはすごく自然なことです。


心理学の「カラーバス効果」(詳しくはこちら)とも近いところがありますね。
例えば「赤」を意識して町中を歩くと、「こんなところにポストってあったんだ」とか、赤色の看板などを見つけて「家の近所に喫茶店があるなんて知らなかった」とか、赤色のものがすごく目に付くことがカラーバス効果です。
別に「色」じゃなくても、意識していることは普段よりよく目に付きます。

この「普段より」という点。
つまり、普段は「無意識下」で様々なものを見ているということ。
この、意識下か無意識下かという違いくらいです。
普段よくゲームをするから無意識にいろんなことがゲームの世界のものように見えてしまうというのは、カラーバス効果と非常によく似ています。


どちらにせよ「そういう風に見えてしまう」というのはしごく自然な状態です。
また、見えたからと言って特にメリットやデメリットは存在しない。
ゲームっぽく見えたものを写真撮影してツイートしたら反響が大きかったとか、見えたことを友人に話したらすごくひかれたとか、それは見えた後に取った行動によるものです。
「そう見えた」こと自体には良い悪いなどありません。

現在普及している意味から見ても、ゲーム脳に良いも悪いもないということになります。



最後にもう一つ。

子どもが死んだカブトムシを見て「電池を交換しよう」と言いだすなどの状況を危惧される人も見ます。
一応こちらの件についても書いてしまいますね。

これは単純に、その子どもが「死」という概念を理解できる年齢に達していないだけです。

つい最近「人間発達学」に関して触れた記事(こちら)を書きました。
人間発達学は、人間がどの年齢で、身体的や精神的にどういったことができるようになるのかについての学問。
何歳くらいで「抽象的思考」ができるようになって…といった話で、人間の脳機能がひとまず全て使えるようになるのは大体18~20歳です。
要するに、先ほどの子どもは死の概念という「抽象的」なものを理解できる年齢ではなかっただけで、成長すれば解決します。


成長する前に「人は生き返ると思った。だから試しに…」といった犯罪を起こされると困るとお考えでしょうか。
では、そういう理由で起こされた犯罪があったというニュースを見たことはありますか、聞いたことはありますか。
既に、家庭用ゲームが初めて普及してから数十年が経っています。
それだけ経っているのにそういった犯罪は目にしたことも耳にしたこともありませんよね。

「ゲームのしすぎで人は生き返らせると勘違いしたんじゃないのか」というのは聞いたことはありますが、テレビ番組で○○専門家といった人たちが勝手に議論していただけの話です。
それぞれ自分の考え、意見を述べただけ。
確かにそうかもと信じるのは受け取り手の勝手ですが、特に何の根拠も研究結果などもないという点には十分にご注意ください。

もしかすると今後起きるかもしれませんが、これだけ少数ならゲームの問題ではなくその人自身が異常でしょう。
「小説を読んで、そこに書かれていた死者復活の儀式をやろうと思った」といった犯罪などもそうです。



と言うことで、「ゲーム脳」自体には本来の意味でも現在の意味でも、メリットもデメリットも良いも悪いもありません。





松山勝弘(まつやままさひろ)
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