ゲームは脳力・能力をアップさせる至高のエンターテインメント ――― ゲームをすると馬鹿になるなんて言わせない

ゲームには世間が思いもよらない様々なメリットがあります。 おもしろい・たのしい、それだけじゃない。 ゲームが学びや脳力・能力アップの「ためになる」ことを知ってほしい。 さあ、ここからは「ゲームの時間」です。

カテゴリ: その他 ゲームと脳の話

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記憶というものは本当に厄介なもので、覚えたいときは覚えられないくせに忘れたいときには忘れられないんですよね;;
ぼくは最近、自分の人生の中でも五指に入るゲームのうちの1つを久しぶりに引っ張り出してプレイしてみたのですが、触りの部分を見ただけで当時プレイした記憶が一気になだれ込んできたり…。

記憶を消してもう一度プレイしたいなんて言葉は本当によく言ったものです。

が、今回はそれを願望で終わらせず、どうにかして記憶を消す方法を考えてみました。
注意点として、すべての記憶を完全に消去することは不可能(事故で記憶喪失などを除く)ですし、そうそう都合良く行えるものではないため、過度な期待はご遠慮ください。
と言うか、結論を先に言ってしまうと、忘れるまで時間を置くしかないんですけどね;;



強い記憶が形成されるパターンのうち今回関係しそうなのは大きく分けて3つほど。
インパクト、繰り返し、そして結びつきです。

インパクトは、わかりやすいのは恐怖体験でしょう。
子どものときに見た怖い夢なんかは数十年経ってもまだ覚えていたりします。
他には旅行で見た素晴らしい景色とか、サプライズパーティーとか。

インパクトで形成された記憶を忘れるのは、正直無理ゲーです。
それほど強い記憶として脳に刻まれてしまいます。
一応、例えば恐怖体験なら、その体験からほどよく近い時期により強い恐怖体験をしたら上書きされる可能性が高かったりしますが…。
これは要するに、神ゲーと出会いそのプレイを終え、次のゲームを始めてみるとそれを越える神ゲーだった、なんて出来事を指します。
新しいゲームをプレイするたびにベストゲームを更新し続けることは不可能ですし、結局は最後に更新したゲームの記憶は…ということになるので。

ただし!インパクトによる記憶は、大抵そのインパクトを与えるきっかけとなったワンシーンのみ!
同じ日時や出来事のうち複数のシーンを覚えている可能性はありますが、流れやセリフなどの細かい部分までは覚えていません。
インパクトの記憶に干渉することはできないため、覚えてしまっているワンシーンに関しては諦めるしかない。
ただそのワンシーンを覚えているからと言って、そのゲームの記憶を全然消去できていないと考えるのは誤りです。

ということで、インパクトに関しては記憶消去の方法と言うよりは、念頭に置いておく事柄の話になりました。


続いては繰り返しについて。
テスト勉強や受験勉強のときなどに、記憶を定着させるために繰り返し行うのが良いとよく言われますよね。
当然ゲームでも同じく、繰り返し何度もプレイすることによって記憶は強固になっていきます。
これは逆に、繰り返し何度もプレイしなければ記憶は定着せず、少しずつ忘れて行くということ。
記憶消去の方法としては最も手軽です。

ただ面白いゲームだとクリアデータを引き継いでの周回でも最初から始めるでも何周もプレイしたいしプレイしてしまいますよね;;
人間は常に今しか生きていないので、将来の不確定な楽しみのために今の楽しみを我慢する必要がどれだけあるのか…ということになってしまいます。

救いなのは、繰り返すことによって定着させた記憶でも決して忘れないわけではないということ。
あんなに必死になって覚えた受験の知識も数年経てばほとんど覚えていないのではないでしょうか。
たとえそれが何度も繰り返したであろう数学の方程式の解き方などであっても。

興味があったことや多く繰り返したものほど忘れるまでの時間は長くかかってしまいますが、それでも時間さえ置けばいずれは忘れられます。
注意点は、忘れるまで触れないこと(思い出す行為をしないこと)です。
触れてしまうことによって当時の記憶のいくらか、下手すれば多くを思い出してしまう。
これ自体が繰り返しになって、忘れるまでの期間がより長くなる。

繰り返しに関しては、今すぐの何周もの繰り返しに関しては許容する。
ただしひとまず満足するまでプレイし終えてからは、再度プレイするときに極力の記憶をなくしたいのであれば、長い年月の間触れずに放置し続けること。
といったところですね。

どれくらいの期間を置けば良いかは、個人差のほかそのゲームをプレイした時間や思い入れなどの不確定要素が多過ぎるので、一切断言できません。
ぼくが前置きで書いたゲームは3年ぶりではまだまだ覚えていましたが、人生ベスト30~50位くらいのものは同じ3年でもかなり忘れていて、新鮮な気持ちでプレイできました。


最後に結びつきに関して。
言葉の通り、何か別のものと結びつけながら記憶されたものは脳に残りやすいというものです。
例えば、ぼくは小さいときにとある格闘ゲームにハマっていたのが冬場で、毎日手がかじかんだ状態でプレイしていたため、今でも手がかじかむたびにその格闘ゲームのことを思い出したりします。
他にも夏から秋に変わる時季の雨上がりの匂いがするたびRPGで育成中だったキャラを思い出したり。
コーヒーを飲む、階段で躓く、図書館で本を探す…などなど、記憶を引き出すトリガーはいくらでも存在し得ます。

今挙げたものやアクシデントのようなものがトリガーとなっている場合は、インパクトと同じで想起されるのはワンシーンであることがほとんどです。
でも例えば「これは○○に通じるところがあるな。こういうところはこうだし、ああなったのは結局のところあれがそうなって…」といった具合に長々と考察したような場合には注意が必要。
季節や日課のように頻繁に訪れるものがトリガーになってしまうと、忘れるどころか繰り返しの効果も発揮して、より一層記憶が強固なものとなってしまいかねません。

何がトリガーとなっているかは実際に一度経験してみないとわからないですが、トリガーを理解したら今後はそれを踏まないよう工夫することはできます。
例えばいつも通る道にある店の匂いがトリガーとなっているなら別の道を通るルートを日常に変えてしまうとか。

後は、頭の中を常に雑多にしておくというのも一つの手です。
どんなにうるさい場所にいても考えごとに集中しているときとかは周囲の雑音がまったく耳に入ってこないこととかありますよね。
そういう状況を作ってしまうということ。
例えば複数のゲームを同時進行させたり、メモに取ると頭が整理されてしまうのでメモは取らずに都度「今日は何をやるんだっけ」と考えるようにするとかです。
ただあまり頭の中が雑多になりすぎると、一つのことをこなすのにかかる時間が増えすぎるなどのリスクもありますが;;(無駄な時間を過ごしたりちょっとした物忘れをしたり…。)



と、こんなところでしょうか。

結局のところ、時間を置くこと以外に忘れる方法はほとんどないということですね;;
後はより強いインパクトの更新に期待して、あるゲームのプレイを終えたら次のゲームをすぐに始めたり。
前述した通り、連続更新のうち最終更新のゲームのインパクトは残ってしまいますが、再プレイしたいゲームのうち1本でも多く忘れる可能性は一応あります。
他に工夫できることは、そもそも覚えすぎないことと、忘れるまで思い出すきっかけとなる行為をしないことの2点くらい。

何にせよ記憶を消しての再プレイをするまでには長い年月がかかることが多いという結論になりました。
10年後や20年後に開けるタイムカプセルの中にそっとしまっておけば!!
…とまあ最初に断った通りそう簡単な話とはなりませんでしたが、夢のまた夢な話で終わらなかっただけでも良しとするべきですかね;;





松山勝弘(まつやままさひろ)
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ピークエンドの法則」というものがあります。
過去の経験の快苦の記憶はほぼ完全にピーク時終了時の快苦の度合いで決まるというものです。
他の部分がどれだけつまらなかろうが、盛り上がりどころとラストさえ良ければ良かったものとして判定される。その逆もしかり。


ピークエンドの法則はしばしば、これからコミュニティを築こうとする人間関係や、提供するエンターテイメントの制作過程で取り上げられます。
後者は例えば、何らかの講義や映画館で見る映画などのように、ほとんどすべての人が最初から最後まで通しで脳に入れるものであれば、特に何が悪いということもないでしょう。
もしあなたが作り手側ならピークとエンドに注力して作るのが一番良い。

ですが、ゲームのように万人が最後までプレイしてくれるとは限らないようなものを作る場合は話が違います。
つかみがつまらなければそこで止めてしまうかもしれない。当然、つまらなかったという苦の記憶しか残りません。
初めをクリアしても、同じことの繰り返し・ワンパターンだったり、続きが気になるようにできていなければ途中で止めるかもしれない。もちろん快の記憶など残り得ません。


受け取り手側の視点では、問題なのは初めに、止めずに続けていれば面白くなり得たのかどうかです。
これに関しては、どう注意すればというのは完全に個人の見解なので特に書くことはありません。
相性で明らかに違うと判断できたり過去の経験則に照らし合わせてみたり、それぞれの判断基準にて。

もう1点は、他者の感想を見聞きする場合に関してです。
クリアまでのプレイ時間が30時間、やり込みを含めると平均50時間ほどかかるゲームがあるとします。
このゲームを、最初の1時間プレイして「クソゲーすぎてやめた」なんて感想を誰かが言っても、まったく参考になりません。
30時間や50時間を想定して作られたゲームの最初の1時間の中に、作り手側が意図したピーク部分もエンドもあるはずがないので。

これが感想ではなく評価だったり、何故面白くなかったかの部分があったなら多少は参考になりますよ。
自分もこういった部分が性に合わないから早い段階で挫折するかもなぁ…といった具合に。

でも感想であるならば、せめて作り手側の意図したピーク部分の方まではプレイしていないと(どこが意図された部分かわかることはそうないため実質クリアややり込みまで)。
受け取り手側が作り手側の意図した通りにピークやエンドを感じないかもしれませんが、そこで初めてつまらなかったという感想が成立するのではないでしょうか。
(もちろん、作り手側の意図した通りのものでなくても必ずしもつまらないとは限りませんし。)


序盤やプレイ途中で出される面白い・つまらないといった感想は、その人の自己紹介の一つだと割り切るのが良さそうです。
「私はこのゲームのプレイを止めて新たにこちらのゲームのプレイを始めました」「今これをプレイしています、スタンスは積極的」「ゲーム大好き!ゲーム大好き!ゲーム大好き!」など。



例え話のつもりがゲームの話にシフトしすぎました;;
最後に話を戻して…。

「ピークエンドの法則」を実際に利用しようとするのは簡単ですね。
何かしらを作ったり提供するとき、ピークとエンドに注力するだけです。
ピークとエンドは分ける必要がなく、すなわちエンドこそがピークでもok。
ボケがウケて盛り上がったからと調子に乗ってだらだらと話を続けず、そこですぐに話を終わらせてしまうというのも手というわけです。

もちろん、ゲームの例えのときに書いたように、自身が意図した通りに相手がピークとエンドを感じてくれるかはわかりません。
ですが、ピークエンドの法則はお手軽に相手が満足してくれる確率や満足度合いを上げるのに利用できるという点で、覚えておいてお得な脳の仕組みの一つです。
これからはぜひピークとエンドを意識してみてください。





松山勝弘(まつやままさひろ)
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