ゲームは脳力・能力をアップさせる至高のエンターテインメント ――― ゲームをすると馬鹿になるなんて言わせない

ゲームには世間が思いもよらない様々なメリットがあります。 おもしろい・たのしい、それだけじゃない。 ゲームが学びや脳力・能力アップの「ためになる」ことを知ってほしい。 さあ、ここからは「ゲームの時間」です。

カテゴリ: ゲームと生活

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つい先日、WHOによってゲーム依存症が公式の精神疾患として採用されました。
個人的にもいろいろと思うところはありますが、まずはこのゲーム依存症というものが一体どういうものかというところを改めてみましょう。


まずはその特徴分けとして以下の区分があるようです。

1.ゲームをすることに対する制御の障害(開始、頻度、強度、持続時間、終了、状況)
2.ゲームに没頭する事への優先順位が高まり、他の生活上の利益や日常の活動よりもゲームをすることが優先される
3.否定的な(マイナスの)結果が生じているにもかかわらず、ゲームの使用が持続、またはエスカレートする

そして、個人的、家庭的、社会的、学業的、職業的または他の重要な機能領域において著しい障害をもたらすほど十分に重篤であることや、その期間や重度などの診断要件が満たされれば、ゲーム依存症として診断されることになります。


簡単な例を挙げると、食事を摂らず、または毎食カップ麵やお菓子ばかり。睡眠時間も削りまくりでゲームをし続け身体を壊し、様々な臓器の機能を低下させたりそれが身体的疾患などに発達してしまうようなことがゲーム依存症でしょう。
他にも、仕事中や授業中でもゲームのことが頭から離れずぼーっとし続けていて毎日のようにまったく身が入っていなかったり(またはゲームをしたいがために休みがちになって続かなかったり)、多額の借金をしてもなおゲームにお金を使い続けたりなどが考えられます。

実例としては、寝食を忘れてオンラインゲームをし続けて「過労死」に至ってしまった人も中国や韓国にいるようです。

なるほど過労死まで出ているとなればゲーム依存症というものが公式に認定されても不思議ではない気もしますが…。
ひとまずぼくが最も懸念するのは、「ゲームが依存を生み出している」という誤った解釈をする人がどれほど出てくるかという点です。
無根拠や濡れ衣でゲームを叩く輩が水を得た魚のようになるのではないか、とも。



依存症にもいくつかの種類があって、まず、物質にハマってていく、アルコール依存、薬物依存、ニコチン依存、カフェイン依存などが挙げられます。
これらは依存対象自体に依存物質が入っているもの、これらが依存を生み出していると言われてもおかしくないものたちです。
もちろん、(大麻や覚せい剤など薬物依存は論外ですが)アルコールやカフェインなどは節度を守って嗜好すれば依存症にはつながらず何の問題もありません。

他には、行動にハマっていく、ギャンブル依存、窃盗癖、買い物依存などと、人間関係にハマっていく、共依存、恋愛依存、DV、ストーカーなどがあります。
ゲーム依存は行動にハマっていくタイプの依存症の一つですね。


では、そもそも依存症は何故起きるのか。

人は誰しも、不安や緊張を和らげたり嫌なことを忘れたいなどの目的である特定の行為(趣味行動含む)をすることがありますが、それを繰り返しているうちに脳の回路が変化して、自分の意志ではやめられない「コントロール障害」という状態に陥ってしまうことがあります。
そう、依存症とは、脳がおかしくなることによって起きるものなんです。

条件さえ揃えば誰でもなるし、依存対象は何でもあり得る。
それが依存症です。


想像はつかないでしょうが、毎朝のジョギングを日課にしている方が、もっともっと走り続けていたいからと仕事に行く時間になっても走り続ける日が続いたり、朝食を取らない日が続いてついには身体を壊してしまう、こういった事態さえも依存症として考えられるわけですね。
まあスポーツとかだと単純に体力の問題(乳酸が溜まって動かしたくともそれ以上身体が動かない問題)で依存症とまでなるケースはめったになさそうですけども…。

先ほどはあえて挙げませんでしたが、テレビ中毒、活字中毒、仕事中毒、音楽依存、断捨離依存、ジャンクフード依存、他にも完璧主義や潔癖症までもが依存症の一つです。
ただおいしい食べ物を食べるというだけの行為でも依存症になる可能性はありますし、健康に良いはずの行動さえも、依存症になれば過度にやりすぎてむしろ身体を壊す結果に至ります。

要するに、ゲームが依存を生み出しているわけではなく、ゲーム自体は何も悪くないということ。(他の依存症と比較して、ゲームをする人口に対してのゲーム依存症になった人数の割合が著しく高いというのであればゲームの問題もあるかもとなるところですが、そういった数値は当然のごとく一切なし。)
ゲーム好きのみなさんも、ただゲームだからという理由になっていない理由でゲームを目の敵にしているみなさんも、ここはしっかりと理解してください。



個人としては、実例として過労死までもが出ているのですから、ゲーム依存症が公式の精神疾患として採用されるのは致し方ないこととも思えます。
が、ゲーム依存症という言葉だけを取って、この言葉を悪用するような使い方は決してしないでほしい。

心ない方、理由なくゲームを叩き台に上げる人や今のマスコミなどにはほとんど届かない訴えかもしれませんが…。
少しでも響く方がいれば幸いです。





松山勝弘(まつやままさひろ)
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機会損失とは。

あることを「しない」ことによって、利益を得る機会を損失したことを言います。

ここで言う「しない」には「できない」も含まれるので、
例えば飲食店なら満員で次の客を入れられなかったとか、
小売店なら品切れで売れなかったことも「機会損失」になります。

この機会損失というものは、日常の中に溢れている。
と言われたらすぐに信じられますか?
でも、実際に溢れています。


昼寝していたらタイムセールの時間が過ぎていた。
風邪をひいて遊びに行けなくなった。
少しぼーっとしていて気付いたら5分経過していた。
すべて「機会損失」です。

お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、
「何かをしていた」ことで「他の何かをできなかった」というのもすべて機会損失に含まれます。
究極的に言えば人生のすべてが機会損失とも言えてしまいますね。


人間を個体として見ると生の時間は間違いなく有限なので、
機会損失は言わば「余計なことをしている暇はない」と言い換えることができます。

積みゲーをしている方にとってはより身近な話かと思われますが、
すべてのゲームをプレイする時間などありません。
プレイ中のゲームが面白くないと感じたなら、
クリアを待たずにすぐにプレイを止めるという判断も必要です。
そうじゃないと、他のもっと面白いゲームをプレイする機会がどんどん失われていきます。


このブログはあくまでもゲームに関するブログなので、
タイトルの通り「面白いゲームと出会うには」に関して、機会損失と照らし合わせながらもう少し書いていきます。


面白いゲームを探すには事前の情報収集をするというのも一つの手ですよね。
そのゲームの公式サイトやゲーム情報サイトなどを閲覧したり。
発売日当日に買わないのであれば、先にプレイした人の感想を聞くというのも有効です。

が、情報収集にも時間がかかっているという点を忘れてはいけません。
購入するかどうかに迷ってあっちこっちいろんなところを読んで回って聞いて回って。
そうこうしているうちに数時間ならまだしも十数、数十時間も過ぎていくのはもったいない。
その間に他のゲームをする時間・機会が失われていきます。

それに、ゲームに限らずですが。
面白いと感じるかどうかやその人に合うかどうかは結局のところ実際にやってみないとわかりません。
どれだけ評価が良くても、自分には合わなかったという場合もあり得ます。
例えばぼくの場合は。
世界樹の迷宮シリーズなどはすごく人気のシリーズですが、ぼくには合いませんでした。
あまり売れていなかったり人気がなくとも面白いと感じるものも多数あります。
みなさんにも、「バカ売れしているが何が面白いの?」「酷評されているけど面白いよこれ!」といったものがあるはずです。


・情報収集は手短に(調べるのにかかる時間が機会損失)
・少しでも迷ったらとりあえず買う(長く迷っているのは機会損失)
・プレイしてみて面白ければ続ける、面白くなければ途中で止める(面白くないのに続けると機会損失)
・面白くなかったソフトを売る場合、まとめて売りに行く(何度も出かけると往復にかかる時間が機会損失)


と、こんな感じでしょうか。
究極で言うとすべてが機会損失だというのは先ほど書いた通りなので、
要はどこまで許容できるけどどこからはもったいないかという線引きの問題です。

ちなみにソフトを売る場合ですが、
すぐに値段が落ちそうなものは個別でさっさと売りに行くのも良いでしょう。
また、ヤフオクやアマゾンなどネットで売るなら、
商品状態の記載など出品にかかる手間や梱包・発送などにかかる手間も含めて相応かどうかも考えてみてください。


実際にプレイすることで、自分はどんなジャンルや雰囲気が好きかなどの情報が脳に溜まって(記憶されて)いきます。
プレイした後は(途中で止めたものでも)どこかで評価、感想などを読んだり聞くのがお勧め。
ついでに購入前にも公式サイトなどを見ておくとより良いです。
自分が思ったことと、実際にレビューされている内容とのズレを感じることができるので、
その経験が蓄積されると事前に行う情報収集力が養われる。
より短い時間でより質の高い情報収集が可能になるということですね。

プレイを途中で止めるかどうかも自分なりの基準を決めておくと楽になるかと。
ぼくの場合は、
「プレイ開始から1~2時間」
「1~2章(または感覚的にクリアまでの20~30%)」
「クリアまでの80%」
「クリア時点(マルチエンディングなら全エンドを見るかや、やりこみ要素など)」
大体この辺りに差しかかるたびに先へ進むかどうかを考えています。

プレイ開始5~10分がすごく面白くなくても単純にプロローグで惹きつける演出が下手だっただけかもしれない。
なので最初の判断は1~2時間の時点。
そこで、面白くなくとも「何とかなるかも」と判断し先へ進めたものを最終判断するのが1~2章(またはクリアまでの20~30%)あたり。
終盤に差し掛かり、オチがほとんど読めてこれ以上続ける意味がないと判断したら80%時点でも切りますし(ここで切るのはほとんどありませんが;;)。
あとはクリア後に、マルチエンドややりこみ要素、周回プレイを始めるかどうかを考えます。

これも、初めのうちは途中で面白くないと感じても最後までプレイしてみても良いかもしれません。
その時点での判断が正しかったかどうかをクリア後に確かめられるので、
先ほどの情報収集力と同じく、見る目が付けられます。


鍛えられる能力は鍛えて、自転車に乗るのと同じように無意識でできるようになる。
テンプレやルールも作ることで短縮できるなら作ってしまう。
こうやって余計な時間を余計な力を使わずに削れる状態にすることが、
機会損失による不利益を極力減らす方法です。

と、この記事で書いたのは、
「できるだけ面白いゲームばかりをやりたい」
「できるだけ多くの(または長い時間)ゲームをやりたい」
「これからもゲームをし続ける」
これら3つの条件すべてが当てはまる場合の例。

特に3つ目の「これからもゲームをし続ける」がなければ、
情報収集力などを鍛えるのに使う時間自体が、機会損失に繋がりかねません。
例えばこれを鍛えきるのに50時間かかったとして。
能力が付いたことでその後の時間が50時間以上節約できなければ、
鍛えるのに使った時間との差し引きでマイナスになりますよね、といった具合です。


このような状況分けをしすぎると文字数がいくらあっても足りないのでしません。
みなさんが大切にしている思想や価値観などに応じて、
どこに重点を置くべきかを考えてみてください。
そうすると、機会損失を防ぐためにやるべき、やった方が良いものが見えてくることでしょう。





松山勝弘(まつやままさひろ)
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