ピークエンドの法則」というものがあります。
過去の経験の快苦の記憶はほぼ完全にピーク時終了時の快苦の度合いで決まるというものです。
他の部分がどれだけつまらなかろうが、盛り上がりどころとラストさえ良ければ良かったものとして判定される。その逆もしかり。


ピークエンドの法則はしばしば、これからコミュニティを築こうとする人間関係や、提供するエンターテイメントの制作過程で取り上げられます。
後者は例えば、何らかの講義や映画館で見る映画などのように、ほとんどすべての人が最初から最後まで通しで脳に入れるものであれば、特に何が悪いということもないでしょう。
もしあなたが作り手側ならピークとエンドに注力して作るのが一番良い。

ですが、ゲームのように万人が最後までプレイしてくれるとは限らないようなものを作る場合は話が違います。
つかみがつまらなければそこで止めてしまうかもしれない。当然、つまらなかったという苦の記憶しか残りません。
初めをクリアしても、同じことの繰り返し・ワンパターンだったり、続きが気になるようにできていなければ途中で止めるかもしれない。もちろん快の記憶など残り得ません。


受け取り手側の視点では、問題なのは初めに、止めずに続けていれば面白くなり得たのかどうかです。
これに関しては、どう注意すればというのは完全に個人の見解なので特に書くことはありません。
相性で明らかに違うと判断できたり過去の経験則に照らし合わせてみたり、それぞれの判断基準にて。

もう1点は、他者の感想を見聞きする場合に関してです。
クリアまでのプレイ時間が30時間、やり込みを含めると平均50時間ほどかかるゲームがあるとします。
このゲームを、最初の1時間プレイして「クソゲーすぎてやめた」なんて感想を誰かが言っても、まったく参考になりません。
30時間や50時間を想定して作られたゲームの最初の1時間の中に、作り手側が意図したピーク部分もエンドもあるはずがないので。

これが感想ではなく評価だったり、何故面白くなかったかの部分があったなら多少は参考になりますよ。
自分もこういった部分が性に合わないから早い段階で挫折するかもなぁ…といった具合に。

でも感想であるならば、せめて作り手側の意図したピーク部分の方まではプレイしていないと(どこが意図された部分かわかることはそうないため実質クリアややり込みまで)。
受け取り手側が作り手側の意図した通りにピークやエンドを感じないかもしれませんが、そこで初めてつまらなかったという感想が成立するのではないでしょうか。
(もちろん、作り手側の意図した通りのものでなくても必ずしもつまらないとは限りませんし。)


序盤やプレイ途中で出される面白い・つまらないといった感想は、その人の自己紹介の一つだと割り切るのが良さそうです。
「私はこのゲームのプレイを止めて新たにこちらのゲームのプレイを始めました」「今これをプレイしています、スタンスは積極的」「ゲーム大好き!ゲーム大好き!ゲーム大好き!」など。



例え話のつもりがゲームの話にシフトしすぎました;;
最後に話を戻して…。

「ピークエンドの法則」を実際に利用しようとするのは簡単ですね。
何かしらを作ったり提供するとき、ピークとエンドに注力するだけです。
ピークとエンドは分ける必要がなく、すなわちエンドこそがピークでもok。
ボケがウケて盛り上がったからと調子に乗ってだらだらと話を続けず、そこですぐに話を終わらせてしまうというのも手というわけです。

もちろん、ゲームの例えのときに書いたように、自身が意図した通りに相手がピークとエンドを感じてくれるかはわかりません。
ですが、ピークエンドの法則はお手軽に相手が満足してくれる確率や満足度合いを上げるのに利用できるという点で、覚えておいてお得な脳の仕組みの一つです。
これからはぜひピークとエンドを意識してみてください。





松山勝弘(まつやままさひろ)