まず「注意力の欠如」ですが。

目の前に人やものがただただいるだけでは人はその特質を把握することはできないことを言います。


例えば大学の講義。

授業中に目の前の席の人が席を立ちどこかに行きました。
1分後、体系も身長も服装もまったく違う人が同じ席に座ります。
しかしあなたは目の前の席の人が違う人物になっていることに気付きません。

これが「注意力の欠如」です。
「見えてはいても見てはいない」ということ。

実はこれ、気付く人はほとんどいないんですよ。


想像してみてください。
喫茶店に入って席に着き10分後に「向こうの席のあの人、店に入ったときからいたかどうかわかる?」と聞かれて答えられますか?



ゲームだと例えばこんなシーン。

ドラクエでレベル上げのためにエンカウントを続けています。
「めいれいさせろ」で4人とも通常攻撃のみ。
通常、戦闘の開始と終了した合図さえわかれば画面を見ずにボタン連打で済みますよね。
実際そうしている人がほとんどでしょう。

1時間後、飽きてきたこともありますがそろそろ目標レベルに達した頃ではないかと思い画面を覗く。
すると…。
戦闘中のメンバーがたったの2人だけ!?

よく見ると戦闘不能になったわけではない。
確認してみると馬車の中に残りの2人がいました。
敵モンスターの特技で馬車に飛ばされていたわけですね。

実際に画面自体はちらちら見ていたはずなのに…。
いつどの時点から馬車に飛ばされていたのかがわかりません。

これが「注意力の欠如」です。
見えているはずなのに見ていない。


戦闘メンバーが2人に減ったということはそれだけ1戦闘あたりにかかる時間が増えたということ。
それだけ時間の損をしているわけですがこれだとどれくらいのロスをしたのかもわからない。

はっきりとロスした時間がわからないとその時間がわかるときよりも多くのストレスを感じます。

こんな事態が起きるわけです。



「見る」だけではなく、同じように「聞こえてはいても聞いていない」なんてのもありますよね。

夫婦げんかなどでよくありますが「私が頼んだとき、うんって言ってたじゃん!」といった具合です。



次は「注意の焦点化」。

注意して見ようとしているものがあるとそればかりを見てしまい、かなり目立つようなものが近くにあってもまったく気づかないことを言います。


こんな実験が。

「今から映像を流します。後で犯人の特徴について質問するので、犯人のことをよく見ていてください。」という指示。
そして映像が流されます。

映像が終わった後にはこのような質問をされる。
「ゴリラはどんな服装をしていましたか?」と。

実はこの映像の途中で、花柄のドレスを着たゴリラのキャラクターが画面下のあたりを右から左に横切ります。
しかもちょうど真ん中に来た辺りで30秒くらいダンスを踊っていたりとかなり目立つ。

にも関わらずこの問いに答えられる人はほとんどいないのです。

これが「注意の焦点化」です。
視野が極端に狭くなるわけですね。



マリオカートで。

前の敵を抜くべく赤甲羅を当てるタイミングを見計らっています。
狙って狙って…発射!

…しようとすると自分が後ろからスターを当てられて回されている。
なんてことはよくありますよね。
スターなんて少し注意していれば比較的簡単に避けられるのに。

なんて考えていると今度は後ろのスターや緑甲羅に警戒しすぎて前からのバナナの皮にスリップさせられたり。

これが「注意の焦点化」です。


特にスポーツをする人などは「注意の焦点化」で視野が狭くなるとせっかくのチャンスを逃したりもします。



「注意力の欠如」に警戒して集中しすぎると今度は「注意の焦点化」が起きてしまったりと、なかなか面倒な現象です。

常にすべてを見続けるなんてことは土台無理な話。
とすれば「あ、今のは注意力の欠如だな」「これは注意の焦点化かな」とふと気づいたときに集中してみたり少し離れてみたりするくらいで良いのかもしれませんね。





松山勝弘(まつやままさひろ)