お金の価値は絶対だと思いますか?

この質問だといろいろな答が返ってきそうです。


一つは。

今100円のお金を持っていて、このお金で飴が30個入っている袋を買えるとします。

この100円を使わず1年間取っておくと、1年後には30個入りの飴の袋が90円で買えるようになっていました。

さらに1年後には90円には違いないが29個入りになってしまいます。

もう1年すればまた30個入り100円ですが、飴一つ一つのサイズが小さくなっていました。

とまあこんな感じですか。


別の考え方では。

今100円持っていて、1ドル100円のレートで100円を1ドルに換える。

1年後には1ドル120円になっていたので持っていたドルを円に換える。

さらに1年後には…。

……。

同じことですね。


他にもお金そのものを燃やしたり粉々にしたり、超大規模な戦争が起きてお金が機能しなくなったり。



とまあこのように、お金の価値自体はそもそも一定ではありません。

が、これは心理学のお話。
現状は何も変わっていないのにお金の価値が変わってしまう心理についてです。



普段、スーパーの特売情報などには執着して、キャベツ1玉あたり5円も安ければ一駅先のスーパーにでも買いに行く。
毎日毎日家計を切り詰めて10円や100円のやりくりにシビアになる。

今日は炊飯器を買いに来ました。
店の人と交渉した上で、2万円で買えることになります。

そのとき隣で見知らぬ人たちが同じ炊飯器を指さしながら、
「俺この前この炊飯器1万9990円で買ったよ。向かいの店で。」
なんて話をしています。

10円のために向かいの店まで行きますか?


これが20万のパソコンだとします。
店内にいて、ここから自転車で20分かかる店に行けば19万9000円で買えると聞いてそこまで行きますか?

「1000円くらい別に良いや」となりますよね。


でも、5000円のゲームが4000円で買えるなら「20分くらい」自転車をこいで行きます。



人はお金のことを考えるとき「割合」や「率」で考えてしまうのです。

パソコンなら0.5%OFF、ゲームは20%OFF、だからゲームは1000円安いと得だけどパソコンは大して得でもなんでもない。
数値の計算まではしなくとも、人は無意識にそう考えるのです。



RPGでもよくあります。

一つ目の村はパーティ一人あたり2Gで宿に泊まれる。
次の街では一人あたり4Gかかるとのこと。

最初の頃は装備品などでけっこうお金がシビアなので、わざわざ一つ目の村に戻って体力を回復させる。

物語を中盤くらいまで進めると無料で体力を回復できる泉を発見。
今度は何らかの魔法などを使い毎回ここまで体力を回復しに来るようになる。

終盤くらいまで進めると一人100Gなどの宿屋もザラ。
それでもわざわざ魔法を使うというコマンドを選択する方が面倒になり、その宿屋で休むようになる。


典型的なパターンですね。
…ぼくのことですが笑



自分の手持ちのお金とも関わるということです。

喉が渇いているとして。
小学生なら500mlの飲み物が100円で売っていたら飛びつきますよね。
サラリーマンなら250mlで120円の缶コーヒーでも普通に買って飲みます。

これも「手持ちのお金と比べて相対的に考えているから」です。



別に本人が良いと思っていればそういう使い方をしても良いんですけど。
それはお金のことをきちんと把握していればの話。
「無意識のうちに」というのが曲者です。

知らず知らずのうちに無駄遣いをしてしまっていないか、振り返ってみてはいかがでしょうか。
(あまりこの部分を話すと節約や家計簿、財務管理の話になってきてジャンルが変わるのでここらで控えときますね。)



人は無意識の中でお金の価値を相対的にとらえているというお話でした。

最後で今さら感はありますが、こういう感覚的な錯覚を「感応度逓減(ていげん)性」と言います。





松山勝弘(まつやままさひろ)