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獲得的印象操作」とは。

「印象操作」のうち、積極的に相手に対してポジティブな印象を与えたり相手を自分の思い通りに動かそうとするものです。
とにかく自分から何かを仕掛けて相手に何らかの印象を与えるというやり方ですね。



好印象を持たせたいなら。
一つ目は「取り入り」ですが、取り入りにも複数あります。


人は自分と同じ意見を持っている人を好きになるという心理的法則を利用するなら「最初は意義を唱え徐々に譲歩していく」というやり方があります。
なぜ最初に異議を唱えるのかというと、何でもかんでも「そうです」「その通り」を繰り返すだけの人は「無能」だと思われて終いだからです。

このやり方で言うと弱気タイプのゲームの主人公は取り入りが得意ですよね。
正義を振りかざすようにいろんなことに「それは違う」と反論しようとしますが、臆病なため口ごもるような感じになります。
そこに相手が「何か文句あるのか」と追い打ちしてきたら「いえありません」と主人公。
これだけだと相手にしもべや子分のように扱われるだけですが、物語の進行による主人公の成長とともに「自分の意見も示す」し「相手の意見も尊重する」タイプになります。

じゃあ最初から「意見も出すし相手も尊重するタイプ」な方が話が早いんじゃないかと言われると、そう単純な話ではありません。
それだと何だか「エリート」っぽい印象を与えます。
人は自分より優れている人には少なからず嫌悪を覚える生き物なので、初めの「弱さを見せる部分」が必要なのです。


取り入りは言い方を変えると相手をほめることです。
ほめる点に重点をおくなら、ただほめるだけでなく「第三者を通じてほめる」「ときどきは批判を織り交ぜておく」「相手が普段ほめ慣れていない点をほめる」などがあります。

先ほどの主人公は自分の意見を発することで「批判を織り交ぜる」手法も使っていたわけですね。



では二つ目、自分を有能に見せる「自己宣伝」について。


何かに成功したとき、それが「偶然」ではなく「自分の努力によるものだ」と相手に示します。
ただ日本では「謙遜」の方が交換を得られるケースが多いので、やり方を間違えると「うぬぼれ屋」だと思われてしまいます。
はっきり言うと「優れた成績を残しており」「周囲もそれをすでに認めている」といった場合に「自己宣伝」をすると煙たがられます。

一番良いのは「過程」の時点で努力している姿を周囲に見せておくことです。
わざと見せることが「自己宣伝」になり、実際に成功をおさめたあとに「みなさんのおかげです」「たまたまです」と謙遜しておけば良い。


ぼくは普段「自己宣伝」を用いて、自分ではなくゲームをよく見せようとしています。
人前ではほとんどゲームをしている姿しか見せません。
ですが裏ではものすごく努力している、例えば読書量なら年間1000冊を超えています。
見せたとしてもゲームをしながら読書をしているシーンだけです。読書のみのシーンは絶対に見せません。
(実を言うと現在はぼくの生活習慣の中で読書のみを行っているシーンがすでに存在しないので見せようがないのですが笑)

そしてテストの成績のような数字でわかりやすい成績を挙げます。
できるならば前回よりも高い成績を目指す。
そうすることで、ゲームをやっているからと言って何ら頭が悪くなるようなことはない、むしろ好影響を及ぼしていると思わせれたらなあと。

まだまだ試行錯誤中ですが…。
何よりも「常に前よりも高い成績を」という部分が周囲の人にとって当たり前化してしまうのが怖い。

前回越えの成績を出し続けるには下手するとゲームをする時間を減らさなくてはいけません。
が、それだけは絶対にやる気がない。
となるとどこかで頭打ちしてしまうのではないかと。
ゲームをしながらでも賢くなり続けないといけないわけなんです。
(今現在はさほど頭が良いわけではないので上限まではまだまだ時間の猶予がありそうですが笑)



さて、「獲得的印象操作」で自分を怖い存在だとアピールしたいなら「威嚇」を使います。
これに関しては「 」も参照してください。


これを使うときには十分な注意が必要です。
というのは、人は恐怖に対して好感を持つことがないからです。

自分が危機的な状況にあるなど必要なときにだけ使うようにしましょう。
例えば「ことあるごとに絡まれて自分の時間を潰される」「自分のものを勝手に使われる」「勝手に使ったあげく自分のものを汚される」など。
あなたが優しすぎて相手になめられているときです。

「この人は優しい」が「こいつは怒らない」「こいつなら怖くない」に変わっているなと感じたとき、「威嚇」を使用して相手の過度な言動を抑える。
そういう手段として使ってください。

先のゲームの弱気な主人公タイプでも、何かをきっかけに物語の途中でブチ切れたりすることがありますよね。
それに恐怖すると今までのように主人公をしもべのように扱うことができなくなるという展開はよくあります。



逆に自分の弱さをアピールすることで相手を動かすのが「哀願」です。


これは「困っている人は助けなくてはいけない」という社会的規範を利用したもので、下手すれば犯罪です。
実際に駅の切符売り場あたりで「財布をなくして家に帰れないからお金を貸してくれ」という詐欺があります。
学生時代にぼくが実際に遭いました。

ぼくは大学一回生でした。
その人は1000円かせめて500円だけくれと言ってきました。
(高い要求を提示したあとに要求をさげるのは「ドア・イン・ザ・フェイス・テクニック」でしたね。「 」を読んだ方は気づきましたか?)

当時まだ若かった(世間知らずだった)ぼくは、どこまで行きたいのかを聞き返して切符を買って渡しました。
「貸してくれ」じゃなく「くれ」だったことに違和感を覚えなかったのはダメでしたね。
「貸してくれ」でも詐欺はあるでしょうが、「くれ」ならほぼ間違いなく詐欺だと思うべきでした。
というより大人や駅員、警察ではなく学生に声をかけていた時点でおかしいのですが。
ぼくが年を食って見えるように老けていたわけではないですよ!!たぶん…笑

切符を渡したのに何か困った様子で、そこからバスに乗らないといけないからやはり金銭で500だけくれと。
たまたまかもしれませんが、切符代と合わせて1000円弱だったので矛盾はしていないなと思いつつ500円を渡しました。
(実際にはここにもちょっとした矛盾があるのですが説明がめんどくさいくらい細かな矛盾なので無視します。)

500円を追加で渡して自分は定期券を使い改札を通る。
ここでようやく違和感を感じてふと振り向くとその人が改札の前でこちらの様子をうかがっていました。

「家に帰るために駅に来たはず」
「そこで切符を買おうとしたときに財布をなくしたことに気付いた」
その人との会話中にこのように理解していた自分は、切符をすでに持っているのに改札を通ろうとしない理由が考えつきませんでした。

考えつかない→何かが間違っている→自分の解釈がおかしい?→この人の言うことがおかしい?

前者なら…後で考えよう。
後者なら…詐欺の可能性あり。

……え?…詐欺?

…… …

……詐欺か!!!!!

ここでようやく気づきました笑


定期券だったのですぐに戻って改札を出てその人に話しかけると同時に腕を掴む。
ちょうど近くに駅員がいたので腕を離さないようにして事情を説明する。

とりあえず駅員の仲介のもと自分のお金は返してもらい。
話が長くなると授業に遅刻するなと思ったので、簡単な事情聴取を済ませたあとに駅員に連絡先を伝えて学校へ。


こんな話です。
これをもっとわかりやすくした詐欺がゲーム内にはよく登場しますよね。

明らかに怪しいおじさんが明らかに怪しい口調で明らかに怪しい困り方をして金銭を請求してくる。
払ってもお金は返ってきません。
…と言いたいところですが、ゲームの場合は逆にこういう人がお礼にと良い情報や珍しいアイテムをくれたりするんですよね笑

みなさんも「哀願」を使うときは詐欺にならないように注意してください。



今回の「獲得的印象操作」は以上です。
次回はラスト、「防御的印象操作」について。



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松山勝弘(まつやままさひろ)